日経平均が失われた平成の27年を取り戻し、その先へ

 遂に先週金曜日、日経平均は一時2万4286円台をつけ、バブル経済崩壊後の高値を更新した。この日、9・28(金)は、金融機関の多くが上半期の締めであり、部署異動のドラマが最も生まれる日でもあった。

 夕方、私の隣の席に座る同級生の社員が上司に別室へ呼ばれた。

 大変優秀な社員である彼の異動。それは彼にとって大きな飛躍であり、「ご栄転」である。同い年とは思えないほど落ち着きもあり、仕事の出来る彼は、所謂男子特有の荒いところもなく物腰やわらかで、常に部署の皆から愛されていた。

 また翌日、今度は大学の同窓会の話し合いがあった。

 私は最近その幹事会に入ったばかりなのだが、大学の同窓会というのは様々な学部の出身者が集まっており、在学時とはまた違った独特の懐かしさと愛校心で繋がっている。それまで外部の会社に勤める同級生達と関わることが少なかった私にとって、(出身大学は比較的規模の大きい部類ではあるが、会って話をするのは専ら同じ社内の同窓生ばかり)他業界で活躍する同窓生たちのコミュニケーションは非常に刺激的だった。

 鬼のような発想力(それはどれも肩に力が入るわけでなく、ふわっとリラックスした状態で口をついて出てくるものばかり)と、現代的なビジネスツールを使いこなす様は、

狭い世界で生きてきた自分にとって、如何に今までぬるま湯で生きてきたかを痛烈に再認識させられるものだった。

 

 同じ1990年生まれ。今まで全く違う軌跡を描いて成長してきた青年たちが、ある一点がキッカケで交わり、また離れていく。だが交わったかに見えているのはあくまで表面上で、結局同じ空間に居ても、どこまでもどこまでもスキルや能力の差は開き続ける。

 

 私の27年間はまさに冴えないものだった。「彼氏いない歴は、いよいよ平成という一時代を超越する勢いです」という大変残念なもので、いっそ時代が違えば聖母マリアのような敬虔で清楚な聖人として崇め奉られるのではないかというレベルのもの。どの時代に生まれてくるかという運命は、その人物の人生を大きく左右する。

 

 経済が暗雲立ち込めた平成時代は、少しずつその活力を取り戻してきている。

 今までの私も経済と同じように、ダラダラと生き続けながら、この数日間、ようやく生まれた頃のフラットな状況に戻ってきた。

 

 残りわずかの平成を、そして次の時代をどう生きるか。

 まだまだ人生100年時代は続く中で、逆転の余地はぜんぜんあるのだと信じ、

先を進む同世代の背中を見失わないよう、しっかりと追いかけていきたい。

 

 

株価変動に観る、基本的な人生の心構え

 先日、トルコショックにより日経平均は2%マイナスという大幅下落に陥った。翌日には反対に2%超のプラスとなり、大きく反発した。筆者の知人はこの二日間に日経平均連動型の投資信託を買って売り、結果2%利益が出たわけだが(ビビリだそうなのであくまでほんの少額の話)、なかなかこんなに短期で大きく値段が動く機会もあるわけではない。自身が動かせる範囲内の金額を、勇気を出して動かしてみた結果が、たまたま運良く実ったのだ。

 

 直近の相場は米中貿易戦争の懸念から不安定な状況が続いている。日経平均やダウなどの動きを毎日見ていても、毎日のようにずっと上がり続ける(或いは下がり続ける)わけではなく、必ずあるラインで反発が生じる。おそらく運用をしている方々なら当たり前のように知っている(そして実感している)事だ。

 

 昨今ジュニアNISAなど若いうちから投資に触れる機会もあるが、その制度もここ最近の話。

 大方の人間は「リスク」という言葉を嫌い元本保証の商品以外には手を出さないか、或いは大人になり、結婚・出産・退職などの大きなライフイベントの転換期を迎える中で何等かの(将来への)不安を感じて、銀行や証券会社、保険会社で薦められたものに入るケースが殆どだろう。

 

 私自身も実は運用を始めてみた。アラサーになってからで、正直ここ半年・一年のことである。

(ただ、運用の本来の意味や意義は一旦置いておいて)私が運用を始めて本当に良かったなと思うのは、人生に対する心構えが大きく変わったということだ。

 

1.「自己責任で、自分の大事なお金を、自分で考えた範囲内で値動きのあるものに回す決断を下す事によって≪勇気を出してやってみることによって初めてわかることがある≫」

 投資信託や株は値動きがあるものだ。売却・解約のタイミングを間違えれば当然元本割れも起こりうるし、コストの事だって気になるだろう。色々な不安や雑誌の記事・ニュースから「投資」「資産運用」という言葉に懐疑的になる一方、そうは言ってもマイナス金利政策下では、銀行に預けても定期預金だけでは増えない時代だし、物価が上がるインフレ状況では当然資産の価値は目減りする。

 そんな中で始めた投資は、まずは「おためし」で。動きを見ていれば大体どれくらいの振れ幅の範囲内で動いているかを実感できるだろう。「0%になって、紙屑になる」というのは(「絶対ない」とは言い切れないが)、そこまで行く可能性が十分あるものと、なかなかそんな状態まで下がり得ない(或いは下がるまで時間がかかる)ものに別れる。詰まる所投資対象に依るのだ。

 この辺りのことは自分自身で決断し、実際に勇気を出してみて初めてわかるのだ。

 

 更に、株価が大きく下がってる時に、敢えて買ってみる。「安く買って高く売る」を信じて買ってみる。もっと下がったらどうしようという、先が見えない怖さがあるのは勿論だ。ただニュースなどを見聴きしたり、実際にチャートを見て、「理論値上は下落は長引かないor絶対戻るはずだ」と信じられるタイミングであれば「ここだ!」というところで買ってみる。

 勇気を出して買った者だけが、その代りに利益を掴めるかもしれない。

 

 普遍の真理のひとつ、「勇気を出して何かに挑戦してみれば、何かを得る事ができる。それは勇気を出さなければ決して得られなかったもの」。別に投資でなくとも構わない。日々の仕事でも、好きな人への告白も、未体験の世界へ飛び込むことも。

 年を取って、30手前になると色々なリスクや不安が頭を過る。子供の頃みたいに無鉄砲に壁にぶつかることが怖くてたまらないだろう。失うものに対する恐怖心に苛まれるだろう。

 だからこそ、「大人なりの勇気の出し方」があるのだ。考えて考えて最悪の事態まで想定して「それでもここまでなら動ける」という自分の限界に挑戦するのだ。この緊張感は、子供の頃の挑戦とはまた違った、ならではの醍醐味がある。

 

2.価格には常に波がある

 1を実行する上で、背中を押してくれるもう一つの普遍の心理が「物事は常に動いている」ということだ。

投資で言えば価格の話だが、広く言えば「何事も」状況は常に動く。「悪いことの後には必ず反発のチャンスがある」「良いことは永遠に続くわけではない」。嫌いな上司だっていつかは異動をしたり、退職する。大好きな人だっていつかは寿命を迎える。就職市場が氷河期でも、いつか経済が好転すれば(経済は不景気と好景気をサイクルしているので)自分の就職・転職だってうまくいって、自己実現が叶えば自信がつき、人生のあらゆるシーンで状況が好転していく。

 

 今ある悩みも、絶対に「変わる節目」はやってくる。好機が訪れるその時まで、じっくりと用意周到にチャンスを伺っていればいいのだ。大事なのは、ここぞのタイミングで動き、(自分の許容範囲で、リスクとリターンのバランスが最も良い状態で最大効用を意識して)チャンスを掴み取れるかどうか。

 

 戦略が伴い、不安が常に纏わりつくという緊張感の中で、まるでゲームみたいに状況を楽しみながら成長していくのは大人ならではのものだ。オトナを心ゆくまで楽しもう。

まえがき:ブログを始めるきっかけ

 「1990年」。私がこの世に生を受けた年。

 バブルに浮かれていた日本が暗黒期に突入した年だ。

 

 前年にベルリンの壁は崩壊し、社会の構造は急速に変化しつつあった。この歴史的出来事をきっかけに世界は新時代に向けて一歩踏み出したのだが、

 その矢先、巨大に膨れ上がった泡が弾け、日本経済の根底を揺るがす事態が起きる。

 

 誰しもが自分の生まれた年(西暦)には愛着を持っているはずだが、私の生まれた年はまさに、それから長く続く暗雲時代の幕開けだった。

 “こんな時代に生まれた子は大変ね”なんて言われて育ったゆとりの走りに、バブル期みたいな貪欲さはない。

 

 大学を現役で入学・卒業し、そのまま就職。

 特段荒波もなくフツーに育った私は、今こうして会社員をやっている。

 もう6年目になるわけだが、異動を何度か経験しながらも、大して日常に大きな変化などないまま、当たり前のように毎日を消費している。

 少子化にゆとり。親世代のような受験戦争を知ることもなく、のんびり屋に育った私たちの周りにはモノや情報が溢れており、時代は多様性・多様化を謳うようになった。

 

 「ああ、このまま結婚までフツーに進めたらいいのに」。

 恋愛弱者の私は、大して恋愛経験も無いまま、遂に目先のすぐそこまで30歳が見えてきてしまった。こればっかりは時代のせいにはできないけれど、「晩婚化って言われる時代、まだまだ30代も遊べばいいんだよ」なんて、既婚の友人が無理やり励ましてくれる。(その“遊び方”だって私は知らない。)

 結婚や恋愛に焦らない草食男子と、多様性の時代の中で必死にモデルケースに乗っかりたい肉食にならざるを得ない女子の攻防は日常茶飯事で。

 こんな時代に姫様を気取れるオンナなんて、ごく少数の若い可愛いコだけだ。

 街コンなんて地域ぐるみの恋活イベントに出ても成果など上げられず、知り合いのウエディングドレスを見送りながら、私は日々仕事に追われてアフター5も楽しめない。

 

 天皇陛下の退位のニュースが走り、書類を見ながら「これ平成って印字されてるけどもうそろそろ使えなくなっちゃうのね」なんて、お客様は笑う。

 紅白の安室ちゃんのステージに、人々はいよいよ一時代の終わりを実感し、また僅かな時代の残り香に一抹の寂しさをおぼえる。

 

 こうして今、私は平成最後の夏を迎えている。

 陽気で太陽みたいなアラサー女子になって、湘南や葉山のビーチでコロナやハイネケン片手に女子会するのだ。そんな海外ドラマみたいな夏休みを妄想しながら、陰キャの私は明日も会社へ向かう。

 今年はまだ、憧れの海にすら行けていない。

 

 夏はあっという間に終わってしまう。最近は年を取ったから、もはや一年ですらあっという間だ。

 そうしてやってくるのだ、日本にとって大きな“賭け”の世界的お祭りが。

 TOKYOが大きな変化を迎えるこのビッグウェーブに、私は果たして乗れるのだろうか。

 

 子供の頃は25歳からオバサンだと思っていたけれど、実は30歳なんてあっという間で。前を走る先輩たちが「やっと大人の一歩を踏み出せて、スタートって感じ」なんて表現する、30歳。一抹の期待と大方の不安に包まれた新しいステージに向けて、私もそろそろ準備を始めなければいけない。

 

 2020年という大きな節目の年に、30歳という挑戦のステージへ踏み出す、私たち1990年生まれ。平凡・地味・堅実が持ち味の私(たち)が、これからの時代を生き抜く為に 何を見て、何を感じ、何を考えて、何を行動するのか。

 

 本ブログは、地味な私が、この大きな社会の変化の中でどうにか生きる為に備忘録的に考えをまとめた日記だ。これでもSNS世代なのでやはり紙の日記よりブログのほうが馴染みやすい。その程度のものですが、平成最後の夏に、気のまま吐き出していきたいと思います。